最初で最後のファンレター

忘れもしない2012年8月30日。中日劇場。

わたしはその日、その場所で、塚田くんのことをすきになりました。

友人に誘ってもらって初めてA.B.C-ZのSUMMARYを観に行くことになったのだけれども、予備知識は全くといっていいほど無く、ワイドショーで潤くんのモノマネをするひとがいるのをぼんやり見ていた程度。グッズのクリアファイルを眺めながらやっとメンバーの顔と名前をなんとなく覚えたところで、もう幕が上がる時間でした。

そんな状態で楽しめるのかなと少し不安に思いながらも席についたのだけれども、結果から言うと、A.B.C-Zのステージは本っっ当に素晴らしくて楽しかったです!

パフォーマンスに魅せられて一瞬も飽きることなくステージに夢中になって、近くまで来てくれたメンバーにドキドキしたり、見よう見まねで一緒に振付を踊って、ステージと客席の一体感にワクワクしたり。

中でも塚田くんは、当時けがをしていて十分にパフォーマンスができない状況でもめいっぱいファンを楽しませようと、ニコニコ笑ってぶんぶん手を振って、他のメンバーにつっこまれながらもトークを盛り上げるべく持ち込み企画を用意して、みんなを笑顔にしてくれました。

そのキラキラのスマイルとサービス精神にすっかり心をつかまれて、その日わたしは塚田くんのミニうちわを握りしめて家路につきました。

その後、塚田くんのことを少しずつ知るたびにもっと好きになったり、たまにはちょっとびっくりすることもあったけど(笑)、それでも塚田くんのいいところをたくさん知ってたから、これまでずっと応援してくることができました。

太陽みたいに明るくてまっすぐで、思ったことや感じたことを素直に言葉や行動にできるのが、塚田くんのいいところ。だけど、自分の行いに対して他のひとがどう感じるのか想像して、ブレーキをかけたり違う道を探したりできないのが、塚田くんの弱点。

それでもメンバーに許されてファンにも許されて、にこにこ自由に振る舞う塚田くんの笑顔がだいすきだったし、塚田くんなりにいろいろ考えてるんだなと思わせてくれることもあったので、アウトだなんて言われてるけど、本当にやってはいけないことや言ってはいけないことくらい、ちゃんとわかってるコだって思ってた。信じてた。

それがこんな風に裏切られる日が来るなんて、思ってもいませんでした。

基本的に”担当”に甘い人間なので(笑)、記事に名前が載ってしまったことや、それを舞台でネタにしてしまったこと、それを知った瞬間は、正直なところわたし自身はあーやっちまったな…くらいにしか思わなかったです。

でも、その場に居合わせてしまったことも、ファンの前で自らが口にすることで傷ついて悲しんだひとがいたことも、塚田くんが本当に”わかって”いたら避けられたことなんじゃないかなって。

そう思ったら今まで自分が信じてきた”塚田くん”がぼろぼろと壊れてしまって、わたしは塚田くんのなにがすきだったのかわからなくなって、そうしたら塚田くんを見るのもこわくなって、それ以来、塚田くんが視界に入るのを避けるようになってしまいました。Twitterのアイコンも塚田くんを外してしまいました。

塚田くんのことを嫌いになってしまったのかどうか、今は自分でもよくわかりません。

これからも頑張っていてほしいという気持ちは変わらないし、塚田くんにはいつだって笑顔でいて欲しい。矛盾することを言うようだけど、塚田くんにはこれからもずっと変わらず明るくて素直なままでいて欲しいとも思っています。

どのくらい経てば今までのような塚田くんのファンに戻れるのかわからないけど、またあの笑顔に元気をもらいたいし、塚田くんの率直すぎる発言に声を出して笑いたい。

だからこれからもどうか、塚田くんが無事にアイドルで居られますように。

たくさんのファンに笑顔と元気を届けて、そして塚田くん自身もたくさん笑顔で居られますように。

また塚田くんのファンを名乗れる日が来るまで、あーあのとき動揺してブログ書いたなー(笑)って笑える日が来るまで、少し離れた場所で見守っています。

今までありがとう。だいすきだったよ。またね。

今更ながら

田口くんの話をしたいと思います。

世のジャニオタさんたちがSMAP騒動に沸く中で完全にタイミング間違ってるのは重々承知ですし、今までKAT-TUNのことをほとんど話題にしてこなかったわたしがこんな記事を書くなんてお門違いなこともわかっていますが、言葉にして吐き出さないと心の中でずっとぐるぐるし続けて消化不良を起こしそうな気がするので、どうかご容赦ください。

2015年、田口くんがジャニーズ事務所を退所する意向を表明しました。

リアルタイムよりほんの少し遅れて観ていたわたしは先にTwitterでフォロワーさんたちの驚きの声を見、何が起こったのかよく把握できないままその瞬間を目撃しました。

なんていうか…衝撃、の一言に尽きる光景でした。

アイドルだって辞めることもあるんだっていう忘れていた事実と、3人の虚ろな瞳と、ひとり穏やかな田口くんの表情と、ぶるぶる震える亀梨くんの手と、声。

アイドルが自らの意志でファンの前から居なくなるなんて、そんなことが起こり得るなんて知らないままでいたかった。

去っていく仲間を引き留められなかったメンバーの、辛い表情なんて見たくなかった。

会場のファンの様子を聞いて、胸が痛くなった。

その日からしばらくは、ただただ「アイドルがアイドルを辞める」ということがショックで落ち込んでいるのだと自分では思っていたのだけど、その後なんとなくTwitterのログを眺めていて、自分がわりと田口くんのことを話題にしていたことに気付きました。

これが一番古いツイート。ざっくり遡っただけなので定かではないけど、どうやら年末の歌番組を観て沸いていたみたい。

そのあと『リーガル・ハイ』というドラマに出演したときに、もりもり食べる田口くんの姿に毎度キュンとしているツイートが残されていたり、同い年ということを知ってなんとなく親近感を覚えていたり。

こんなツイートもしてたりして。

思い返してみても、歌番組で踊るKAT-TUNをなんとなく眺めているとだいたい気付いた時には長い手足で華麗に踊る田口くんのことを目で追っていたし、後輩目当てで買った雑誌に田口くんが載っていればその美しさにページを繰る手を止めて眺めたし、なにより、初めてツイートしたときには『たぐち』呼びだったのがいつの間にか『田口くん』と呼ぶようになっていて、”すきになればなるほどだんだん丁寧に名前を呼びたくなる”クセのあるわたしは、自分で自覚していた以上に、田口くんのことをすきになっていたようで。

数日後にはだいぶしんみりとしていました。

とは言えわたしは嵐ファン。ぐだぐだ言ったりもしたけれど、同じ日にこんなこともつぶやいてました。

 正直に言えば、辛い辛いと言いながらも結局は自分が応援しているグループの人じゃなくてよかったって、心の片隅でひっそり思っている部分も少しはありました。

もちろん田口くんが居なくなることはとても悲しかったけど、同じことがいつか自分の身にも降りかかり得るということを思い知らされた、ということが同じくらいショックで、より強い喪失感を感じていたのだと思います。

 

だけど。あれから約2か月。

先日、仕事をしていたらとつぜん事務の女の子に課長から招集がかかりました。

なんだろうと思って会議室に行くと、今年度入社の営業職の男の子が退職するというお話でした。

前兆はあったのでやっぱりか、という思いもあったけれどやっぱりショックで、仕事がしやすくていい子だなと思っていたのに残念で、話を聞いてみたら仕事のプレッシャーが大きくて体調を崩してしまったとのこと。少し休んでから勉強をして新しい仕事を探したい。突然辞めてご迷惑をおかけしてすみません、今までありがとうございました、と頭を下げるその子に、わたしは少し寂しい気持ちと共に「一緒に働けなくなるのは残念だけどこちらこそ今までありがとう。これからも頑張ってね」と声をかけました。そうしながら心の中でちらっと「次に来る営業さんも仕事がしやすいひとだといいな」と思っていました。

居なくなってしまうのは寂しいし辛いけれど、代わりのひとが入って、また同じように歯車が回っていく。

自分が転職したときもそうだったな、なんてぼんやり考えていたとき、ふと頭に浮かんだのは田口くんのことでした。

普通の会社なら、一般男性ならそう。転職や退職なんて普通のことで、居なくなれば代わりのひとが来て、もちろん前任者と全く同じようにはいかないけど、それでもそれなりにうまく歯車を噛み合わせて前に進んでいくことができる。

でも田口くんは違う。田口くんに代われるひとなんて居ない。誰にも田口くんの代わりはできない。

ファンにとって応援する”アイドル”は唯一無二の存在で、居なくなったから代わりに違うひとを応援すればその穴が埋められるなんてことは無い。少なくともわたしの中には無い。

応援したいひとが複数いたって、そのひとりひとりがかけがえのない”ひとり”で、失った時の痛みはきっとみんな同じなんだ。ぽっかり空いた穴は、誰も埋めることができないんだ。

恥ずかしながら”そんなの今更”と言われそうなことを急に実感して、「一般男性なら普通のこと」なんて自分を納得させようとしていた自分がバカみたいだと思ったし、田口くんを失うことが本当に悲しくなった。今まで以上に心の底から『辞めないで』って思った。

思っただけじゃ留まれなくて、このまま受け流すことができなくて、何か形にして吐き出したくて、いまこのブログを書いています。

KAT-TUNのため、田口くんのために一銭も還元したことのないわたしが言うのは本当に本当におこがましいことだと思うけど、田口くんが居なくなるのがホントに悲しい。寂しい。辞めないでほしい。嘘だと言ってほしい。居なくなる日が来るのがこわい。田口くんの笑顔を見るのが辛い。歌って踊っているところを見ると心が痛い。あと何回たぐちくんのことを見られるんだろうって、そればっかり考えてしまう。

ああどうしよう、言葉にしたら余計に辛くなりすぎてこの記事の結びが見つからなくなってきた。。そのくらいどうしようもなく悲しい。。

…本当に寂しいけど、田口くんとKAT-TUNのファンの方たちはもっともっと辛い思いをされていてそれはわたしには想像もつかないほどだと思うので、もう大々的に口にするのはこれを最後にして、今後は静かに見守って行きたいと思います。

田口くんとファンのみなさまが今後も少しでもたくさん楽しい時間を一緒に過ごすことができることを祈って。

わたしからは以上です。

初心。

改めまして、あけましておめでとうございます。

タイミング的にはだいぶ遅すぎるけど、今回は2016年の目標を書き記しておきたいと思ったので、あえてそうご挨拶することにしました。

前回の投稿から半年ぶりになってしまいましたが、自分の中では予想の範囲内だったので、そこにはあえて触れずにしれっと更新することにします(笑)

 

さて。2015年を振り返ってみると、波乱のカウコンで幕を開け翌日はKinKiコンで光一くんのお誕生日に初めて立ち会いさらにその翌日にはジャニーズWEST初のコンサートに参加するというジャニーズまみれのおめでたすぎるお正月からはじまり、ジャニワ、なにわ侍、ジャニスト初ツアー、Sexy Zoneのコンサートで春までを過ごし、初夏にワク学に補欠入学させていただき、A.B.C-Zのコンサートで初めて大阪城ホールに足を踏み入れ、夏の終わりに嵐に会いに宮城へ行き、秋にはV6の20周年コンサートにも参加、終わりに無事に嵐のツアーに行くこともできて、わたしの2015年の現場は終了しました。

私生活の環境が変わりばたばたしていた時期もあったにもかかわらず、年間を通して割とまんべんなく、そして有難いことに自分が行きたいと願った現場にはほぼ参加させていただくことができ、ジャニオタとして自分なりに充実した1年を過ごすことができました。

どのグループの現場も本当に楽しくてそれぞれの魅力が詰まっていて、特にわたしのTwitterのプロフィールに嵐と名前を並べているA.B.C-ZジャニーズWESTに関しては、心から『すきになってよかったな』と感じさせてくれる時間をもらい、2016年も目が離せないな…!!、と思っていたのですが。

2016年の三が日、元旦に発売されたBlu-rayと、年末年始に出演した数々の番組を見ながら、つくづく実感しました。

やっぱり嵐がだいすきだーー!!

コンサート直後にホテル行きのバスの中で、胸がいっぱいすぎて言葉にならず、『最高のコンサートでした(;;)』と書き残すのがやっとだったARASHI BLAST in Miyagi。

”原点回帰”をコンセプトに掲げ、ジャニーズの先頭集団を走る嵐が”ジャニーズらしさ”を追求したその心意気と、そこへ"嵐らしさ"が融合された演出に感動した『Japonism』ツアー。

そしてその最終日に発表された2016年まさかのアリーナツアー。

テレビの前で思わずワーキャーしちゃうほど夢中になった年末の歌番組と、キラッキラのステージで一緒に年明けをお祝いできる幸せをくれたカウントダウンコンサートで、先輩と後輩の間で立派に司会を務めあげる姿。

確かな演技力で魅せてくれた単発ドラマと、お正月を彩る華やかなゲストたちをきちんとおもてなしして、かつわたしたちをしっかり楽しませてくれたお正月のレギュラー特番。

もちろん、先に挙げた2グループもまだまだ今まで通り応援していくつもりだし、他にも魅力的なグループはたくさんあって、興味があるのも変わりません。

でも、『余所見してる場合じゃないな』ってすごい思った。嵐のこと、もっともっとちゃんとよく見なきゃ。こんなすごいグループない。今もこれからも、しっかり見てなきゃもったいない、ってすごい思った。

Twitterはじめたころはホント嵐のことばっかりつぶやいてて、嵐のことばっかり考えてて、毎日あらしあらしって言ってて、だけどだんだんいろんなグループを見るようになってから、その熱量は変わってないつもりだったけど、口に出したり書き残したりすることは減ってきました。TL上にはもちろん嵐のことをすきなフォロワーさんたちが多くて、嵐に関するツイートがいっぱい並んでて、だんだんそれを見るだけで満足してしまうようになっていました。

みんながツイートしてくれてるし、自分はいいやって。RTもみんなみてるだろうし、まあいいやってやらなくなって、その代わり、ほかのグループのことを発言したりRTすることが多くなりました。

性格上あたらしいものがすきで夢中になりがちっていうのもあったし、嵐の後輩にこういうグループがいるんだってことを知ってほしい、少しでも彼らの認知度を上げる力につながれば、という気持ちもありました。それはたぶんこれからも変わらないです。

だけど一番の原因は、たぶん、ものすごくおこがましいことに、わたしはほんのちょっとだけ、”嵐”というものをわかった気になってたのかもしれない。

嵐がどういうグループで、どういう歌をうたって、どういうふうにパフォーマンスして、メンバーの関係性はどんなふうで、こんなお仕事をしていて、って。最初の頃は見たり知ったりするのが楽しくて夢中になって、だけどだんだんそれが落ち着いてきたところで少しずつ視野が広がり始めて、同じようにほかのグループで新しいことを知るたびにまた楽しくて夢中になっていました。

でもその間に嵐はまた先に進んでて、わたしがほんのちょっとわかった気になってた”嵐”を軽々と超えていたし、嵐がどんなグループになっていくのか、これから何をしていくのか、わからないことだらけで、考えるとワクワクして。

そんな嵐の行く先を知りたい、ずっと見てたい。そう思いました。

そしてそのためにも、いっぱい嵐のことを考えたいし嵐のことを書き残していきたいと思いました。

なによりも、嵐がだいすき!!って、たくさん言いたいと思いました♡笑

 

『初心にかえる』

2015年のワクワク学校で翔さんが『一年の計は元旦にあり』と教えてくれたので、もう元旦はだいぶ過ぎてしまったけれども、これを2016年の目標とし、今年もだいすきなひとたちと共に歩んでいきたいと思います。

邦楽界の自担(?)の結婚経験があるジャニオタが現担当の結婚について考える

二度めましてこんにちは!

今回は結婚について考えてみようとおもいます。
いきなり重いテーマですが(笑)、実はこれが書きたくてブログをはじめたといっても過言ではないので、長くなりますがお話しさせていただきます。
 
今春、わたしがだーーいすきな櫻井翔さんがレギュラー番組にて、オネエと結婚についてお話しする機会がありました。
Twitterのタイムラインでお見かけした多くのファンのかたと同じように、わたしも壁ドン顎クイからの床ドンでふわふわに舞い上がったテンションをずどんと叩きおとされるほど、翔さんの口から発せられた『結婚』というワードは重く響きました。
そもそも"アイドル"の結婚に関してわたしは肯定派で、ファンのためにこれだけ頑張ってるひとたちなんだから自分のしあわせも大事にしてほしい!そのひとが考える"しあわせ"が結婚ならそれもアリじゃん!と思っているのですが、それが果たしてだーーーいすきな翔さんだったら…同じことを思えるの…!?どうしよう、そんなにすきなひとが結婚してしまったことがないからわからな――あ、あったわ。
 
そう、今をさかのぼること7年ほど前。
当時大学4年生だったわたしは、ポルノグラフィティの、とくにボーカルである昭仁さんの大ファンでした。
 
デビュー曲アポロを聞いたのが中学2年生。
昭仁さんの歌声に完全にハマり新藤くんの歌詞に感銘を受け、しばらくはその頃すきだったKinKi Kidsと平行して応援していましたが、高校進学とともにふんわりとジャニーズを卒業してからはポルノグラフィティ一本になり、高校3年の冬に念願叶ってはじめてライブという場所に足を踏み入れてからはもう後戻りできるわけもなく、めでたくファンクラブにも入会。
大学で同じくポルノグラフィティファンの友人に出会ってさらに加速し、円盤を買い集め雑誌を買いあさりライブに通いときには遠征もして、対象がちがうだけで今とあまり変わらないことをしていました(笑)
 
アイドルとロックバンドのボーカルじゃ比較にならないと思われるかもしれませんが、"その時のわたし"は"いまのわたし"が翔さんをだいすきなように昭仁さんのことがだーーいすきで、歌声や曲が素敵だなとおもうだけでなく、岡野昭仁という人物を"あこがれの存在"としてみていました。
 
そんな2008年1月。ファンクラブの会報がとどきました。
封筒の中身はとくに変わった様子もなく、いつものように記事を読み進めていたのですが、昭仁さんの個人コーナーのいちばーーん最後、右下にちいさく四角で囲われた細かい文字が並んでいることに気づきました。
いままでこんなのなかったのになんだろう、新しいコーナーでもはじめるのかな、とおもって読みはじめたけれど、それは予想を裏切る、というか予想だにもしていなかったものでした。
 
現物が手元にないのでニュアンスになってしまうのだけれど、そこには入籍を決めたこと、お相手は一般の方でお子さんがいて、強く生きるふたりを支えたいとおもったこと、会報のスペースをとってしまって申し訳ないけれど、ファンクラブの会員のみなさまにはいちはやくお知らせしたかったことなどが、昭仁さんらしい穏やかで誠実な文章でつづられていました。
 
え?なに?けっこん?いっぱんじん?え??なに??これ、なに??
って、はじめて読んだときはまったく内容が頭にはいってこなくて(笑)
何度も何度も読み返してやっと理解したときは、もう涙がぼろぼろとこぼれて止まりませんでした。
しばらくは、ただただびっくりしたのと、昭仁さんが遠くに行ってしまったようでさびしいのと、でもうれしいことなんだから祝福しなくちゃって半ば無理やりよろこぼうとしたのと、感情がごちゃまぜになってもう言葉にもならず。。あんなにフクザツな気持ちになったのははじめてだったなあ。。
でも少しして落ち着いたら本当に心からうれしいなとおもえたし、改めて昭仁さんの言葉を読み返して、彼らしいファンに対して真面目なメッセージでやっぱり彼のことがすきだなあとしみじみ感じて、それでまた泣いて。。
当時やっていたポルノグラフィティのファンブログに、
『結婚しても昭仁さんのことがだいすき(;;)これからも応援する!!(;;)』
なんて書きなぐったのを覚えてます。笑
 
そんなことを言っておきながら、3か月後に社会人デビューを果たしてしまったわたしは、不規則なお休みと遅い帰宅時間で仕事に行って帰って寝るだけの毎日のなか全く趣味の時間がとれなくなり、だいすきだったライブにも行けず、気が付いたらLove up!(ポルノグラフィティのファンクラブ)すら更新を忘れいつの間にか退会。。
新譜を買ってテレビをチェックする程度のいわゆる"お茶の間ファン"になってしまったのでした。
 
それでも継続してCDは買って聴いていたので、ある日ぼんやりと気づきました。
昭仁さんの書く歌詞、変わったなあ…と。
もっと濃く追いかけてたらすぐ気づいたかもしれないし、全然チェックできてなかった雑誌等でご本人が言及していたかもしれないけれど、昭仁さん詞の新曲を聴くたびにじわじわと、あれ?今までと違うなっていう違和感みたいなものがだんだんと確信に変わっていきました。
 
これは本当にわたし個人的な考え方だしご本人や一般的なポルノグラフィティのファンの方たちとは見解が違うのかもしれないけれど、昔から"晴一さんの書く詞はノンフィクション"で"昭仁さんの書く詞はフィクション"っていう印象があって。
実体験は書かないと言っていた晴一さんに対して昭仁さんは自分の内面や等身大の言葉を歌詞にしていると感じることが多く、(『n.t.』『朱いオレンジ』『東京ランドスケープ』などはとくに)、歌詞を読むのがすきだったわたしはどちらかというと晴一さんの表現力のあるまるで物語のような歌詞に"読みごたえ"を感じていました。
 
でも、最近の曲を聴いているときにふとひっかかるフレーズがあったりぐっときて歌詞カードをめくりたくなったりすると、昭仁さんの作詞であることが増えてきて。
なにが違うっていうのはうまく言葉にできないのだけど、ふわふわしていた言葉たちが少しずつ地に足をつけて歩きはじめて、もっと深く遠くまで見えてくるようになったみたいな…ホントうまく言えないのが悔しいのだけど。。『君は100%』や『ワンモアタイム』みたいな力強くひとに寄り添って背中を押すような歌詞を昭仁さんが書いていることに感動すら覚えて(何様だよって話ですが)、いつからだろうっておもってさかのぼり始めたら、はじめに感じたのは『ROLL』だったことに気づきました。
全力でファンやってたころだったよ…!
 
これはCMソングにも使われていたのでなんとなく聴いたことがある方が多いとおもいますが、歌詞が!とっても!いいんです!!
前半は一方的に自己満足で"君"をただ愛するしかできなかった"僕"が気持ちがうまく伝わらず悩んでいるのだけど、Cメロで"君"の心の深くまで触れて目をそらしていた"君"が抱えてる苦しみや悲しみもすべて知って受け止めることで、最後には《僕がずっと抱いてあげる》《名も知らぬ花でもいい(中略)ずっと咲かせる》と、もう一歩踏み込んだ"愛"を知って永遠を誓う、そんな素敵なラブソングなんです…!!
特に悩んでいた"僕"が答えをみつけて迷いから抜け出したところ、大サビで演奏が止まって昭仁さんの声がすとんと抜けた時の爽快感たるや…!
(急に熱くなってしまった)(まだ語りたいけどもうやめときます)
 
これがリリースされたのが、結婚発表の約3年前。
 事実と全然違うかもしれないし、ものすごく勝手な勘繰りだけれども、もしかしてこのころから"結婚"というものを考え始めたのかなあ、なんて思ったりして。。
(翌年には『ジューンブライダー』というもろウェディングソングも世に出ています)
 
もともと昭仁さんは"ノンフィクション作詞家"としてはわたしのなかで非常に定評があって、活動初期にライブでのみ披露されていた(最近シングルのカップリングとして音源化されましたが)『LIVE ON LIVE』のライブが始まる前の空気感やステージに立つ側の熱が伝わってくるような歌詞が素晴らしかったり、『Aokage』は故郷での実体験を書いたとてもかわいいラブソングだし、車を買ったのがうれしくて書いたという『クリスチーナ』はおちゃめな歌詞でテンションの高さが伝わってきて微笑ましいし…
 
そんな昭仁さんが夫になり父になって書いた言葉たちは以前よりもぐっと現実味を帯びて力強さを増し、説得力のある歌詞になりました。

変わったのはラブソングだけじゃなくて、前述もしたけれど結婚後に発表された『ワンモアタイム』や、アルバム曲では『FLAG』みたいな、自分を語るだけではなく聴く人の背中を押してくれる、一緒に歩いていこうと手を引いてくれる、そんな曲が増えたような気がします。
MCやインタビューでも、前を向いてまだまだ上を目指して走り続ける強い決意のようなものを感じられるようになりました。
実は昭仁さんが結婚する前はどこか優柔不断で頼りない印象を持っていたので(昭仁さんごめんなさい…笑)、ひとって結婚するとこんなに変わるんだ…!と驚きました。
 
青かった若葉が季節の深まりにあわせて暖かく色づいていくような、穏やかだけど確実な変化。
もちろんすべて"結婚"という経験だけが影響したものとはおもってないけれど、とても大きい変化だったろうな、というのは最近自分も同じ立場になりつつあって実感しています。
 
そしておもう。やっぱり昭仁さんがすき!結婚する前よりいまの方がもっとすき!!
翔さんもだいすきだけど結婚したいのは全世界中のひとをあわせてもダントツ昭仁さん!!
すべてを受け止めて愛してくれるやさしさを持っていて、ちょっとおちゃめなのにまだまだ走り続ける覚悟も努力もしててものすごーーーくかっこいい!こんなすてきなひと、他にいます!?
絶対結婚するなら昭仁さんしかいない…!と、いまのわたしはおもっています。
転職して自分の時間が持てるようになってからは、無事にファンクラブにも出戻りを果たしました♡
 
なんかただのポルノグラフィティのファンブログみたいになっちゃったけど(笑)、わたしが書きたかったのは、既婚者のファンやるのもわるくないよ♡楽しいよ♡♡ってことです。
 
いつか翔さんも結婚をするときが来るかもしれない。
そのときもいまと同じぐらいの熱量で応援できていたら、たぶんわたしはやっぱり泣くとおもうし、しばらくはただたださびしい気持ちが勝ってしまうかもしれない。
でも、泣いて泣いてちょっと落ち着いたら、この記事を読み返そうとおもいます。
そうしたら心からお祝いできて、新しい翔さんのすきなところもたくさん見つけられるとおもうし、きっとまたそれまでのように、もしかしたらそれ以上に、翔さんのことをすきになれると信じているので。

最後に、曲のタイトルから歌詞を読んでもらえるようにリンクをはっておきました。
少しでも興味を持っていただけたなら、お時間のあるときにでも読んでみてください。
さらに気になったらぜひ音源も聴いてみてください。
きっと昭仁さんの言葉と声がやさしく寄り添って前に進む勇気と力をくれます。
 
わたくしからは以上です。ありがとうございました!

はじめましてのごあいさつ

はじめまして、こんにちは。
ナナカともうします。

だいすきなものはジャニーズです!
おもいの丈をTwitterの140文字ではおさめきれず、とうとうブログをはじめてみました。

さいきん流行り(?)のスゴい分析や考察はとてもできませんが、自分なりに考えたことや感じたことをまとめていけたらいいなとおもっています。

きらきら星のまたたきをかぞえてはため息をつくことしかできない、無力なジャニオタのヒトリゴトですが、お時間のある方はどうぞお付き合いくださいませ~⭐